おはようございます。

新居に引っ越しして二日目。

睡眠の質はかなりよくなっています。いまのところ。

一軒家なので、となりの人の声や生活音は聞こえません。とても静かです。

寝付きもすごくよくて、今朝は午前4時に目が覚めました。

前の家では早く自然に目が覚めるなんてことはありませんでした。

生活環境で人間の体調はかわりそうです。



僕は、この家が気に入りました。

昼間、暑いのも4月が終わったら多少は改善されるでしょう。

エアコンはない。

水道もいまのところ出ない。
250バーツで買った700リットルの水を下から漏れ続けてる大きなタンクに入れてもらってます。
これで何日水が使えるのでしょう。

一週間持たなそう。

たぶんここは、いままで住んだ家で一番静かな家だろう。

車やバイクの音が家の中に響かないのがうれしい。

どうして車のエンジン音はあんなに大きいのか?

これからは電気自動車の時代に変わっていくのか?

僕にもうちょっと未来を予想する頭があったら人生もっと楽しめただろうに。




そして通訳を辞めて10日が過ぎてしまった。

だいぶ気が抜けてます。

たぶん今、通訳の仕事を依頼されてもすばらく訳すことはできないかもしれない。

通訳モードに頭がなってないから。

学校での日本語の授業では、タイ語を使うと「タイ語は使わないで日本語で話してください。」とリクエストがあった。

これからはタイ人に意識して日本語を使っていく生活になるのだろう。

おもしろい。

いままではひたすらタイ語を聞いてタイ語を話していた。

聞きすぎて頭が痛くなったこともしょっちゅうありました。

「もうタイ語なんてききたくない!」って思ったこともありました。

そんな時を乗り越えて今日までやってきたのだな。

これからは日本語指導やら生徒たちに悩まされるのだろう。

人生は常に課題があります。

なくなることはないでしょう。

世の中にいるすべての人がそれぞれの課題と向き合いながら生きている。

だから「課題がなくならない。」と嘆く必要はない。

課題や問題があって当たり前なのだから。

課題や問題があっても、平気な顔してリラックスして微笑みながらコーヒーでも飲んでるイケてる大人を演じてる方がかっこいいでしょう。

僕はそうなりたい。

ならやってみよう。

目指してみよう。


40才を超えてもまだ人生は続きそうです。

いつこの命が終わるかは神のみぞ知る。

後悔がないように、生きていくしかない。


通訳を定年まで続けていて、タイの高校で日本語を教えるチャンスを逃していたらきっと後悔しただろう。

だから通訳を辞めて、正規の日本語教師になることを決断できた。


いままでの人生、なるべく環境を変えない方がいいような気がしていた。

住居はなるべく変えずに、10年20年と住み続けた方がいいような気がしていたが、そんなことはどうでもよくないですか。

しょっちゅう引っ越しして、新しい環境を体験するのも悪くないです。

いい環境もあれば、自分に合わない環境もあって当然です。

どんな環境でも生きていくことに変わりはありません。

たとえ合わない環境でも、それなりに生活していく術を身に着けることも大切ではないでしょうか。



仕事もなるべく変わらない方がいいと思いこんでいました。

でも僕は今回で転職何回目だろう。

5回目くらいかな。

だいたい4年くらい勤めて辞めています。

信じられないことにタイでの通訳はまるっと9年は続けることができました。

9年って結構長いですよね。

過ぎてしまえばあっという間ですが。

まあ、勤続年数が長いとか短いとかあまり気にしてもしょうがない気もしてきたので、今に集中してやっていけばいいのではないでしょうか。


今思えば、小学校から入っていた野球部もなんで途中でやめなかったのだろうか。

あんなにいやいや毎日続けていたのも不思議だ。

きっと自分には向いていなかった環境だった。

それでも嫌々行ってただけだからうまくもならなかった。

最終的にはイップスになって、ボールが手から離れなくなってしまった。

キャッチボールがまともにできなくなり、とてもつらかった。

あそこでさっとやめて美術部にはいって絵を描いていたらどんなに幸せだっただろうか。

もちろん野球部でさんざん走らされたおかげで、今の丈夫な体があることには感謝しかないです。


なにがその人にとってベストかはわかりません。

でも小学生、中学生にとっては自分で環境を決めることは結構困難だと思います。

そこは大人たちが子供たちの気持ちを聞きながら、アドバイスを送ったり、こんな道もあるんだよと提案をして、子供たち自身が選べるようにすることも大事ではないでしょうか。

僕はそんな先生を目指したい。

強制的に興味もない日本語の勉強をさせるのではなく、一人一人の生徒に合った勉強法を提案してあげたい。

100人以上の生徒を相手にするので、一人一人に使える時間は限りがあるとは思うが、その限られた時間で生徒に向き合っていけばいい。

それ以上もそれ以下もない。

自分の使える時間を使うだけです。

そんなに難しいことをやろうとしてるわけではない。


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