昨年末ごろ、気分が落ち込み何もやりたくない日が続いていました。

集中力がまったくなく、なにかをやろうという気がわいてきませんでした。

それでも生きていればまた何かやりたくもなるだろうと、とりあえず一日一日を過ごしていました。

毎朝、今日は生徒の前に絶対に立てない!

たった50分の一時限の授業すら最後まで話ができるわけがないと思っていました。

よっぽどなにか理由をつけて「今日は休みます。」と言おうかと思っていました。

でもとりあえず行くだけ行ってみようと、学校に行く。

授業が始まる前は勝手にプレッシャーを感じでそわそわしている。

それでも必ず時間はやってくる。

時間になれば30人の生徒の前のいる教室に入る。

生徒の視線をひしひしと感じる。

とりあえず出席をとる。

これが僕のルーティン。授業を始める前の儀式のようなものみたいです。

そして最近は教材作りをする気力もなかったので、教科のとおりに授業をすすめてみた。

いつも不思議に思う。

気分がどん底で、絶対に無理だと思っているときほど、なんとかなってしまう。

いや、むしろひっしこいて準備していどんだ授業より、準備なしで挑んでその場のアドリブで授業をしたときの方が生徒たちの反応がよかったりする。

やはり生きた生徒たちを相手にしている限り、事前にイメージしたとおりにすすむことは稀なようだ。

その日その時の生徒の状態、反応をみて、その場で臨機応変に対応する必要がある。

授業のパターンは絶対に一つではない。

生徒がこう来たら、このパターン。

あーきたら、また別のパターンと、数通りのパターンを持って対応していかないと生徒たちは聞いてくれない。

授業はライブなんだ。

日本語教師になって今月で8か月目。

いままでは生徒のためといいながらやってきたつもりでしたが、実は一人よがりなことをしていたのかもしれませんね。

何時間も時間をかけて準備した授業用のパワポがあんまり受けなかったのに、なにも準備せずおこなった授業の方が生徒たちの反応がよかったなんておかしな話です。

タイに来る前に漠然とイメージしてた、タイで日本語教師になるという夢は今実現しています。

ここまでくるのに10年かかりました。

運よく、新人通訳として採用され、タイ語を日々の業務の中で磨くことができました。

タイ人の話てることが聞き取れない状態から始まり、今ではタイ人に日本語をタイ語で説明しながら教えることができるようになりました。

これもすべていままで出会ってきた人達のおかげですね。

本当に感謝しております。

僕の体は一つです。

日本語教師か工場通訳かどちらかを選ばなくてはいけない時期がきました。

両方やり続けるというのはどうやら不可能のようです。

ここはタイに来る前に、ずっと思い描いていた、タイの学校で日本語を教えていたいというビジョンを貫いていきます。

この先、10年20年30年と続けていき、今よりも素敵な先生になっているかもしれません。

または、一年も持たずに通訳に戻ってしまうことになっているかもしれません。

未来はわかりません。

でもやってみたいことがあるなら、挑戦してみたらいいじゃないですか。

60歳になってからだって日本語教師はできるといわれたこともあります。

ごもっともです。

でも僕は今やりたいんです。

できることなら大学を卒業した22才のころからやっていれたらもっとよかったかもしれません。

でも過去の僕はできなかった。

そのおかげで通訳になれた。

10年間の通訳経験は今の僕の強みになっています。

どんな人生だっていいです。

どんなに最低な時期があったとしても、これから先のすばらしい人生のために必要な時期だったと思えばいいんじゃないでしょうか。

まわりの人よりお金がなくたっていい。

いままでずっとモテなかった人生でもいい。

ダサい人生を送ってきてたとしてもいい。

無駄なことをやり続けてきたとしてもいい。

頭がよくなくてもいい。

友だちが少なくてもいい。

自分の人生ならなんでもいい。

いままで生きてこられた。

これからも生きていられる限り、自分にできることをどんな小さなことでもいいからやり続けていきます。

いいときも悪いときもつらいときも、毎日生きていくのも楽しいものです。

それではまた明日。






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